明治の英語教育
この前からチェストツリーで健康に気を使う用になった私です。
さて、本題へ・・・
真に国を愛する者は、自国に仇なす者の本性を、虚心坦懐な心持で究めることが勤めだと考えて、ある青年は老宣教師について聖書を勉強しました。
宣教師が言ったように、もし西洋文明のすぐれた力が、ほんとうに彼らの倫理の優秀さを示すものならば、彼らの高度の宗教を採用し、国民全体の改宗のためにつくすのが、いやしくも国を愛する者の義務ではないだろうか、と考えるようになります。
彼は西洋に出かけて、宗教が道徳にどのような影響を与えているか、自分の眼でたしかめたいと思いました。
彼はやがて西洋文明をまのあたりに見ることになります。
東洋人が見た西洋は巨人の世界であり、功利的機械主義であり、道徳的偽善しか見ることができなかったのです。
彼は西洋文明に失望し、自国の文明の美点を再認識して帰国します。
・・・これは明治の知識人の一典型を物語っています。
明治の英語教育は文明開化のために存在したのです。
東京英語学校(後の大学予備門)を出なければ大学へ進めませんでした。
外国語は専門を学ぶものがまず修めなければならない学術だったのです。